パチンコ屋の店員になった話|依存者が依存者を相手にする仕事

パチンコ依存
消費者金融で借りた20万円を手に、ようやく「生活を立て直そう」と思った。 就職活動を始めた。 向かった先は、即日入寮可・飯付きのパチンコ屋だった。 「パチンコの負けはパチンコ屋で取り戻せる」 今思えば意味不明な理由だが、当時は本気でそう思っていた。 飲食店でしか働いたことがなかったが、当時の社長には毎日怒られながらも「ここで働いてたら何処でも通用するぞ」と言われていた。接客でファンもいた。自分の働き方には、根拠のない自信があった。 新店オープンで人手が必要だったこともあり、即採用。

バッグ2つで亀岡へ

全荷物はバッグ2つ。電車で西成から亀岡へ向かった。その時点の全財産は1万円。 梅田を通るとき、友人のバイト先に立ち寄って1万円借りようと思った。向かいかけたが、途中でやめた。 なんか、親友を失うような気がしたからだ。 お金は親友に借りてはいけない。今となっては良い判断だったと思う。この頃も、自分なりの信念はあったようだ。 自販機には寄らず、公共のウォータークーラーで水を飲んで亀岡へ向かった。

研修初日、店長が言った言葉

現地に着くと即研修が始まった。 1日の研修が終わると、店長が皆を集めてこう言った。 「お金ない奴、金貸すでー。初任給で返しなー」 さすがパチンコ屋だと思った。入社してくるのは無一文のパチンコ中毒者が多いのだろう、店長はわかっていたんだと思う。 私は1万円借りた。 そしてパチンコへ行った。

店員なのに客として打つ

シャンプーは100均のものを使っていた。でも車はフルローンで買った。 金の使い方の優先順位がおかしかった。 打っていた機種はかとちゃん(1/25)あたり。少し余裕があるときはオークス2かドラゴン伝説。 ある日、玉詰まり(ぶどう)をわざと黙って打っていたら、店員が厳重注意しに来た。「すみません」と謝った。 止め打ち(V狙い打法)をやっていたら、他の客から垂れ込まれて注意された。「すみません」と謝った。 同じ業界で働いている立場なのに。 タバコもやめられなかった。

客を見ていたら人間不信になった

店員として毎日客を見ていると、人間不信になってくる。 朝から並ぶ妊婦。床に唾を吐く客。台を殴る客。常に怒っている客。 みんな金のためにギラギラしている。そう考えると、怖くなってきた。 普段は温厚な人でも、あの環境では鬼になっていると思う。パチンコ屋が事件になりやすいのは、そういうことだと思う。テーマパークではそんな事件は起きないからな。 一般的な職場よりも、遥かに「悪のオーラ」が充満している場所だ。 そこで毎日働きながら、自分もその中の一人だった。

この頃の生活は荒んでいた

今思うと、この時期は本当に荒んでいた。 パチンコで時間と金を失い続けていたから、普通の思考や学習ができていなかったと思う。 先のことを考える余裕がなかった。目の前のパチンコと、今日をどう乗り切るかだけだった。 これが私のパチンコ屋店員時代の話だ。
パチンコをやめたい方はこちら:パチンコをやめる方法|完全ガイド 依存から抜け出す仕掛けについて:意思だけでは無理・複数の仕掛けを作る

店員になってわかったこと

店員として働いていた時期、客の行動がよく見えた。同じ人が毎日来る。給料日の翌日は明らかに客が増える。閉店ギリギリまで粘る人がいる。

自分もかつてそっち側だったのに、立場が変わるとまったく違って見えた。お金がなくて今にも泣きそうな顔で台に向かっている人を見て、昔の自分が重なった。

声をかけられなかった

「やめた方がいい」と言いたかった瞬間が何度もあった。でも言えなかった。仕事だから。店が成り立つのは、そういう人たちのお金があってこそだから。

その矛盾の中で働き続けた。自分がやめた後でそこで働いていたというのは、今でも複雑な気持ちがある。でもその経験があったから、依存している人の姿を外から見ることができた。それだけは良かったと思っている。

依存者を相手にする仕事の矛盾

店員として働きながら、「自分はこの仕事に向いていない」と思っていた。でも当時はそれ以外の選択肢が見えていなかった。依存から抜け出したばかりで、自信もなかった。

今はあの経験が、依存している人の気持ちを理解する助けになっていると思う。外から見た依存者の姿と、中にいた時の自分の感覚。両方を知っているのは、こういうブログを書く上でも財産だ。

依存者として過ごした時間と、依存者を相手にした時間。両方の経験が、今のブログの土台になっている。無駄な経験は一つもなかった。

依存している人の隣に立って仕事をした経験は、簡単には語れない。でもその経験があるから、このブログで正直に書ける。経験は武器だ。

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